2026年2月20日、札幌地方裁判所が下した判決をきっかけに、小学館が運営する漫画アプリ「マンガワン」をめぐる性加害事件が日本中に知られることとなりました。加害教員(漫画家・山本章一氏)による未成年への長期的な性的虐待、そして小学館側の対応をめぐる議論はSNS上で急速に拡散し、100人以上の漫画家が作品を引き揚げるという前例のない事態に発展しています。
こうした混乱のなか、2026年3月8日、被害者(原告)の代理人弁護士が公式サイトで被害者本人からのメッセージを公開しました。そこには「小学館への炎上を望んでいない」「マンガワンをなくしてほしいとは思っていない」という、多くの人が予想しなかった言葉が綴られていました。さらに、週刊文春が掲載した記事タイトル「私は性加害漫画家と小学館を許せない」について、被害者自身が「そのような発言はしていない」と明確に否定しています。
この事件の核心にあるのは、漫画家の山本章一氏(本名:栗田和明)が北海道芸術高校の美術講師として勤務していた2016年から、当時15〜16歳の女子生徒に対して性的虐待を繰り返していたという事実です。その後、山本氏は逮捕されたにもかかわらず、小学館マンガワン編集部は「堕天作戦」の休載理由を「体調不良」と発表。さらに事件の示談交渉に編集者が関与し、被害者への口外禁止条項を含む和解案を提示していたことも裁判記録から明らかになっています。そして判決から約2カ月後、山本氏が別名義の「一路一」として「常人仮面」の原作者として活動していたことが発覚、さらに「アクタージュ」で強制わいせつ罪の有罪判決を受けたマツキタツヤ氏も「八ツ波樹」名義でマンガワンに起用されていたことも判明しました。
この記事では以下の点を詳しく解説します。
- 被害者が「小学館炎上を望んでいない」と語った本当の理由とその背景
- 「マンガワンをなくしてほしいとは思っていない」という発言の真意
- 週刊文春の記事タイトルと被害者の実際の発言の食い違い
- 加害教員による他の被害者の存在と今後の裁判の行方
- 被害者が本当に望む解決の糸口とは何か
1. 被害者が「小学館の炎上を望んでいない」と発言した本当の理由——本人メッセージ全文から読み解く
マンガワン事件をめぐるSNS上の動きが過熱するなか、2026年3月8日、原告代理人の弁護士2名(小竹広子氏・河邉優子氏)が公式サイトを通じて被害者(原告)本人からのメッセージを公開しました。このメッセージは、炎上の方向性が被害者自身の意思とは大きくかけ離れていると判断したうえでの発信だと考えられます。
1-1. 被害者が訴訟を起こした真の目的とは
被害者が公開したメッセージには、訴訟の目的が明確に記されています。被害者は「私のように無防備で幼い学生が次々と同じような被害に遭い続けるのを絶対に止めたいという思いで、この裁判を起こした」と語っています。
つまり、被害者が一貫して求めてきたのは「小学館への制裁」や「マンガワンの解体」ではなく、同じ被害者を二度と生み出さないための社会的な仕組みづくりだということです。この点は、SNS上で広まっていた「被害者が小学館に怒り狂っている」というイメージとは根本的に異なります。
被害者は自らが許せないと感じているのは「判決が出ても非を認めて謝罪しようともしない加害教員」であると明言しています。小学館に対して「強い怒りや恨みを持っているわけではない」とも述べており、この発言の重みを正確に受け止める必要があります。
1-2. 小学館取締役が直接謝罪した事実
2026年3月5日、小学館の取締役の方々が代理人弁護士の事務所を訪問し、電話を通じて被害者に直接謝罪を行いました。このことも、被害者のメッセージに影響を与えた重要な出来事のひとつです。
被害者は小学館からの謝罪を受け、今後の再発防止についての約束を得たと述べています。そして「終始穏やかにお話することができた」という言葉を残しています。謝罪を受け入れ、対話のなかで区切りをつけようとしている被害者の姿勢は、SNS上の過激な言説とはまったく異なる落ち着いたものでした。
1-3. マンガワンを巻き込んだ漫画家への申し訳なさ
被害者のメッセージにはこのような言葉もありました。「今回、思ってもいなかったような騒ぎになり、マンガワンで活躍されていた、加害教員とは全く関係のない漫画家さん、作家さんを巻き込んでしまい、申し訳ない気持ちで一杯です」。
被害者が謝罪している相手は、加害者でも小学館でもなく、事件に無関係であるにもかかわらず影響を受けてしまった漫画家たちです。この視点は非常に重要です。インターネット上の炎上は往々にして拡散の過程で本来の論点から外れ、無関係の人を傷つけることがあります。被害者はそのことを深く憂慮していたのです。
1-4. 被害者が望む「本当の解決」
被害者がメッセージのなかで述べた「私が心から望むこと」とは次のとおりです。「加害教員からの被害の実相を広く知っていただき、こんなことが起きないよう、社会全体で子どもを性被害から護る仕組みをつくっていただくこと」。
被害者はさらに「それぞれのお立場で、できることに取り組んでいただければ、大変嬉しい」と呼びかけています。この言葉は、過激な批判活動や炎上の扇動を求めるものではなく、社会全体が子どもを守る意識を持つことへの願いです。
この事件を通じて、被害者は個人的な「怒り」よりも「社会的な意義」を優先してきたことが伝わります。自身が長年にわたり心身に深刻な傷を負いながらも、訴訟を起こしたのはあくまで「次の被害者を生まないため」という大義のもとでした。被害者の言葉には、それだけの重みと覚悟が宿っています。
1-5. インターネット上の炎上が被害者の意図を超えて広がった経緯
2026年2月20日の判決後、SNS上では「マンガワン事件」という名称で情報が拡散されました。インフルエンサーによる追及や告発が相次ぎ、編集者の個人情報(SNSアカウントなど)がさらされる事態にまで発展しています。また、事件とは無関係の漫画家やスタッフも批判の矛先にされるケースが報告されています。
こうした炎上の連鎖が被害者の意図とは大きく異なる方向に向かっていることを、被害者本人が最も強く感じていたのかもしれません。だからこそ3月8日という、事件の報道から2〜3週間が経過したタイミングで、被害者は公式メッセージの発信に踏み切ったのだと考えられます。当事者の意図を無視した形で炎上が拡大することへの懸念は、SNS社会における情報拡散の在り方に対する根本的な問いかけでもあります。
2. 「マンガワンをなくしてほしいとは思っていない」という発言の真意と今後の裁判の行方
被害者のメッセージのなかでも、とりわけ多くの人が驚いた発言が「マンガワンをなくしてもらいたいとも思っていない」という部分です。100人以上の漫画家が作品を引き揚げるほどの批判を受けているマンガワンについて、当の被害者がこのような発言をした背景を丁寧に読み解く必要があります。
2-1. 被害者自身が漫画ファンである事実
被害者はメッセージのなかで「私自身、小学館が発行している漫画のファンで漫画に助けられてきた人間」であることを告白しています。被害を受けた当事者でありながら、漫画という文化そのものを大切にしている被害者の人間性が滲み出ている言葉です。
「今後も良い漫画を世の中に出していっていただきたい」という言葉も添えられており、この事件を通じてマンガワンや小学館の出版活動そのものを否定するつもりはないという意思が明確に示されています。
2-2. 前科者の「表現の場」に対する被害者の見解
被害者のメッセージには、前科を持つ人物の創作活動についての見解も含まれています。「前科がある人であっても、絵を描いたりストーリーを考えたりすることはしても良いと思いますし、そういう人に発表の場を与えることも、一概に悪い事だとは考えていません」。
この発言は、事件の加害者である山本氏の将来的な創作活動の可能性まで否定していないことを示しています。被害者が求めているのは、創作活動の封殺ではなく、誠実な対応と再発防止です。ただし、この見解にはひとつの前提があります。「犯罪行為を認めて充分な対処をした上で、二度としないと約束してから次に進んでもらいたい」という条件です。
2-3. 被害者が示談で求めていた「唯一の条件」
事件の示談交渉において、被害者が提示した条件は極めてシンプルなものでした。裁判記録によれば、被害者は「連載を再開する際には、体調不良や療養など虚偽の理由を述べずに、休載期間について事実に基づいた説明をしてほしい」と求めました。
この要求は被害者への金銭的補償を求めるものではなく、漫画の読者に対して誠実な情報開示を求めるものでした。被害者は読者への誠意を守ることを最優先に考えていたのです。しかし担当編集者はこの条件を受け入れず、示談は破談となりました。
2-4. 控訴審で続く学校側への法的闘争
2026年2月20日の札幌地裁判決では、加害教員の山本氏に対して1100万円の損害賠償支払いを命じる判決が下されましたが、被害者が同時に訴えていた学校法人恭敬学園(北海道芸術高校札幌サテライトキャンパスの運営法人)に対する請求は棄却されました。
代理人弁護士の発信によれば、被害者はこの学校側に関する部分について控訴しています。また、加害教員側も控訴する予定だと報道されています。つまり、この裁判はまだ終わっておらず、控訴審での闘いが続く予定です。
弁護士のメッセージには「今後、世界のどこにも同じような被害者を出したくないという原告の思いを受けて、加害教員とともに学校側の責任をも認めていただけるよう、控訴審での訴訟活動を行っていくつもり」と記されており、被害者の戦いはまだ続いています。
2-5. 山本氏の発言から見えてくる加害者の現状
週刊文春の取材チームが山本氏の自宅を訪ね、インターホン越しに話を聞いたところ、山本氏は「言い分は無くはないんですけど」と答えつつ、弁護士に止められているとして詳細なコメントを避けました。「振り返って後悔は?」という問いに対しては「そこも含めて、もう社会的に死んだようなものですから、いろいろ言いたいことはあるんですけど」と述べるにとどめています。
この発言から見えてくるのは、加害者が被害者に対する誠実な謝罪よりも、自分の「社会的な死」という自己評価に意識が向いているという点です。「言い分がある」という含みを残した言葉は、自らの行為に対する真の反省とはかけ離れたものに映ります。被害者が「判決が出ても非を認めて謝罪しようともしない」と述べているのは、こうした加害者の態度を踏まえてのことです。
法廷においても加害者が「大笑いした」という目撃証言が傍聴者から寄せられており、被害者の訴えを真摯に受け止めない態度が一貫していたとされています。この点も、被害者が「加害教員だけは許せない」と述べる根拠となっています。
3. 週刊文春の「小学館を許せない」タイトルは被害者の言葉と食い違っていた——経緯と影響を検証する
2026年3月5日発売の週刊文春に、「被害女性が全告白『私は性加害漫画家と小学館を許せない』」という見出しの記事が掲載されました。この記事タイトルについて、被害者は自身のメッセージのなかで明確に否定しています。メディアリテラシーの観点からも重要な事例であり、詳しく検証します。
3-1. 被害者が実際に語った言葉とは
被害者はメッセージのなかでこのように述べています。「私はこのタイトルがつけられることを事前に知りませんでした。私が文春の記者さんにお話したのは『やるせないです』という言葉であり、『小学館を許せない』という発言はしていません」。
被害者が記者に語ったのは「やるせない」という感情を表す言葉であり、「許せない」という強い告発的な表現とは大きく異なります。「やるせない」は怒りよりも悲しみや徒労感に近い感情を表す言葉です。記事タイトルの「許せない」とは、意味のトーンが根本的に異なります。
3-2. タイトルと本文の乖離が生じた経緯
週刊文春の記事本文においては、被害者が被害の詳細を語ったうえで「小学館のその後の対応も、事態の隠蔽ばかりに気持ちが向いているようで不誠実としか思えません。本当に許せないです」という言葉が掲載されています。記事内では確かに「許せない」という表現が使われていますが、その文脈はあくまで「隠蔽的な対応への不満」として述べられたものでした。
しかし記事タイトルでは「小学館を許せない」という形に集約され、被害者が小学館全体を強く糾弾しているかのような印象を与える見出しになっていました。取材時点と記事の最終見出しが確定した時点では、被害者と小学館の間に何らかの進展があった可能性もあります。実際、3月5日には小学館取締役が代理人弁護士の事務所を訪問し、電話で謝罪を行っています。
3-3. メディアの見出しと当事者の意図のずれ
この件は、センセーショナルな見出しがいかに当事者の意図を逸脱する可能性があるかを示す典型例です。被害者は記者との取材に応じ、被害の実態を社会に知らせることに協力しました。しかし「小学館を許せない」という見出しが独り歩きした結果、SNS上では「被害者がマンガワン潰しを望んでいる」というイメージが形成されてしまいました。
被害者はメッセージの最後で「文春に対する批判についても、同様に、望んでおりません」と述べています。週刊文春の取材や報道そのものを否定するわけではなく、むしろその報道によって事件の認知が広まったことへの感謝の気持ちもあると解釈できます。被害者の言葉の重みを正確に受け取ることが、この問題を考えるうえで最も重要な姿勢です。
3-4. 炎上と被害者の意図のすれ違いという構造的問題
被害者は「これ以上、小学館への批判がインターネット上で炎上することは、望んでおりません」と明言しています。これは被害者が小学館をかばっているわけではなく、炎上という手法そのものが被害者の望む解決にはつながらないという認識に基づいた発言です。
SNS上の炎上は確かに事件を広く知らしめる効果がありますが、拡散の過程で情報は断片化・誇張され、当事者の意図とは無関係の方向に向かうことが多々あります。被害者がこのタイミングでメッセージを公開したのは、炎上の方向性を修正し、社会的な議論を本来あるべき「子どもを守る仕組みづくり」へと誘導しようとする意思があったからではないでしょうか。
3-5. 記事タイトルと当事者の真意——メディアリテラシーの視点から
今回の一連の出来事は、メディアがどのように見出しをつけるかが、当事者の意図とどれほど乖離し得るかを示す貴重な事例となりました。週刊文春の取材は事件の認知度を高めるうえで確かな役割を果たしましたが、「許せない」という強い言葉が見出しに使われたことで、インターネット上の議論は「被害者の怒り」を中心に展開されました。
しかし被害者が3月8日に公開したメッセージは、「許せない」とは似て非なる「やるせない」という感情から出発したものでした。「許せない」は他者への明確な糾弾を含みますが、「やるせない」は理不尽な現実に対する深い悲しみや無力感を表します。この2つの言葉の違いは小さいようで、被害者の心境を理解するうえでは決定的な意味を持ちます。
報道を読む側としては、見出しを鵜呑みにするのではなく、当事者の一次情報(今回でいえば代理人弁護士が公式サイトで公開したメッセージ)にあたることの重要性を、この件は改めて示しています。
4. 加害教員による他の被害者の存在——複数被害の可能性と背景にある構造的問題
今回の事件は被害者1人の問題にとどまらない可能性が出てきています。代理人弁護士が公開したメッセージには、他の被害者の存在を示唆する重要な情報が含まれています。この点は、個人の事件を超えた構造的な問題として捉える必要があります。
4-1. 弁護士が明かした「複数の被害者情報」
代理人弁護士は公式声明のなかで、「同じ加害教員から性的被害を受けていたのは、原告だけではなく、原告より上の学年にも複数の被害者がいたという情報が寄せられています」と述べています。
この情報が事実であれば、加害教員の山本氏(栗田和明)による性的被害は今回の原告だけでなく、複数の年代に及んでいた可能性があります。被害者が「次の子を見つけた」という加害者からの連絡を受けて警察に被害を訴えることを決意したという事実も、被害が継続的・反復的なものであったことを示しています。
4-2. 加害教員による連続的なグルーミングの手法
弁護士の声明では、加害教員が高校入学時の15歳の段階からグルーミングを開始していたことが詳述されています。グルーミングとは、性的目的で子どもとの関係を巧みに築いていく手法のことで、加害者は被害者を孤立させ、信頼関係を構築しながら逃げ場をなくしていきます。
具体的には、加害教員は被害者の親への批判を重ねて家族からの孤立を促し、漫画家としての影響力を利用して「自分だけが理解者」という状況をつくり出しました。さらに「先生を不愉快にさせてはいけない」という心理的な支配を確立してから性的行為へと移行しており、非常に巧妙な手口でした。
4-3. 被害者の心身に残った深刻な後遺症
裁判記録によれば、被害者は重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)と解離性同一性障害を発症しました。被害者の陳述書には「普通に五感を働かせていると、辛すぎて気が狂ってしまいそうになるので、その最中はなるべく何も感じないように、自分の意識を遠ざけて感じない状態になろうとした」という言葉が記録されています。
取材中にも突然別の人格が現れたという事実からも、解離性同一性障害の症状がいまも続いていることがうかがえます。被害者の母親も事件の詳細を知ることによって極度のパニック障害を発症し、父親が詳細を知ると「一家離散が起こる可能性」を危惧するほど家族全体が深刻な影響を受けました。
4-4. 2019年の自殺未遂と警察への被害申告
被害者は2019年8月に警察に被害を訴えましたが、その後も心的外傷が続き、同年10月に自殺未遂を図りました。「次の子を見つけた」という加害者からの連絡が被害申告の直接的な動機となったことも、加害者に他の標的がいた可能性を裏付けています。
2020年2月、山本氏(当時の容疑者名)は児童買春・ポルノ禁止法違反(製造)の容疑で逮捕されました。当時16歳だった被害者の写真を無断で撮影・保存した行為が摘発の対象となり、罰金30万円の略式命令を受けています。しかし、被害者が最も訴えたかった性的強制行為については時効や証拠の問題から刑事罰を科すことが困難だったとされています。
4-5. 学校側の責任を問う控訴審の意義
一審では学校法人恭敬学園への請求が棄却されました。しかし弁護士は「学校内で構築された先生と生徒という強固な上下関係が無くなるはずはなく、原告には拒絶することができなかった」と指摘しています。性的行為そのものは学校外で行われていたとしても、被害の構造は学校という場で形成されたものであり、学校側の管理責任を問うことには正当な根拠があると考えられます。控訴審の行方は、教育機関における性被害防止の観点からも重要な意味を持ちます。
教育機関が性加害を行う教員を適切に監視・管理する体制を持っていなかった場合、その責任はどこまで問われるべきか。日本では教員による性犯罪が発覚するたびに学校側の対応が問われてきましたが、法的な責任の範囲は未だ明確ではない部分も多くあります。この控訴審は、教育機関の使用者責任や安全配慮義務の範囲を明確にするための重要な判例となる可能性があります。
4-6. 被害者の証言が示すグルーミングの実態
今回の事件で加害者が用いた手法は、グルーミング(性的目的による関係構築)の典型的なパターンを示しています。弁護士の声明によれば、加害者は以下のような段階的なアプローチをとっています。
- 漫画業界の権威という立場を活かして生徒に近づき、特別感を与える
- 家族関係についての情報を引き出し、親への批判を繰り返して家族から孤立させる
- 「自分だけが理解者」という状況を作り出し、逃げ場をなくす
- 「先生を不愉快にさせてはいけない」という心理的支配を確立してから性的行為へ移行する
こうした手法は、一般に「権威ある立場の人物による性的グルーミング」として知られており、被害者が自ら「助けを求められない」状況に追い込まれます。被害者の陳述に「誰にも相談できないまま、行為はエスカレートしていった」という言葉があるように、外部からは発見が困難な支配関係が築かれていました。
こうした事例を社会が広く理解することは、被害者の訴えが「なぜ早期に相談しなかったのか」という的外れな批判を受けないようにするためにも重要です。被害者が声を上げることができなかったのは、加害者によって意図的に作り出された心理的な支配構造があったからです。
5. マンガワン事件の全体像——成田卓哉編集者の行動と小学館の組織的対応を時系列で検証する
今回の事件は、被害者と加害者の二者関係にとどまらず、小学館という組織の関与が繰り返し問われています。裁判記録や関係者の証言をもとに、事件の経緯を時系列で整理します。
5-1. 性被害開始から逮捕まで(2016〜2020年)
加害教員の山本氏が被害者へのグルーミングを開始したのは2016年のことで、被害者が15歳の頃でした。性的行為への移行は16歳になった時点からで、その後、卒業するまでの数年間にわたって継続的に性的虐待が行われました。
この間、山本氏は小学館のマンガアプリ「マンガワン」において「堕天作戦」という漫画を連載していました。被害者を凌辱している期間中も連載は継続されており、山本氏は漫画家としての活動を続けていたのです。
2020年2月、山本氏は逮捕されました。この直後、マンガワンは「堕天作戦」の休載を発表しましたが、公式な理由は「作者の体調不良」とされ、逮捕の事実は公表されませんでした。
5-2. 示談交渉をめぐるLINEグループの経緯(2021年)
2021年5月27日から、マンガワン編集者の成田卓哉氏、山本氏、被害者、被害者の知人の4名でLINEグループを使った和解協議が行われました。被害者はこのタイミングで、マンガワン編集部に対して逮捕の事実を伝え、連載再開をしないよう要請していました。
LINEのやり取りのなかで、成田氏は小学館の法務部や社長室を含む社内各部署との情報共有があったことを認めています。裁判記録には成田氏が提示した示談条件が明記されています。
| 番号 | 成田氏が提示した条件 |
|---|---|
| ① | 公正証書作成後1営業日以内に示談金150万円を支払うこと |
| ② | 被害者が山本氏の漫画連載の再開中止要求を撤回すること |
| ③ | 本件についての口外禁止 |
| ④ | 被害者と山本氏の接触禁止 |
被害者はこれに対し、「連載を再開する際には、虚偽の理由を述べずに、逮捕を理由とする休載であることを公表すること」という条件を追加するよう求めました。しかし山本氏側はこの条件を拒否し、示談は成立しませんでした。
この示談交渉の過程で注目すべき点は、成田氏のLINE発言に記された「連載再開ができなかった場合は、山本氏から月々の支払いもできなくなってしまう」という表現です。これは示談金の原資が事実上、山本氏の連載収入(小学館からの原稿料)に依存することを示しており、小学館が連載を再開させる動機となっていたことを示唆しています。また「示談金については山本氏へ原稿料を支払っている小学館の立ち位置からですと、おそらく300万円を一括ですぐには難しい」という発言も、小学館が財務的な観点から示談金の金額に言及していたことを示しています。
こうした経緯を踏まえると、示談交渉は被害者救済を優先したものではなく、連載再開と口外禁止を主な目的とした小学館側の利益を守るための交渉であったとの見方が成り立ちます。被害者が署名を拒否したのは、この交渉の構造そのものへの不信感が拭えなかったからではないでしょうか。
5-3. 成田卓哉氏とはどのような人物か
成田卓哉氏は、マンガワン所属の編集者です。SNS上での特定により、ドラッグストアチェーン「マツモトキヨシ」の元社長である成田一夫氏の息子であることが広まりました。成田一夫氏は1950年生まれの実業家で、マツモトキヨシの代表取締役社長や会長を歴任した人物です。なお、成田卓哉氏自身が小学館のYouTubeチャンネルで父親の経歴について言及していたとされています。
成田氏はもともとフリーランスの編集者として「堕天作戦」を担当しており、2022年10月の連載終了後に2023年から小学館の正社員として採用されています。成田氏自身は「結婚したため」フリーランスから正社員になったと語っていたとされています。
裁判において成田氏が判決直後に傍聴席に姿を見せ、「裁判費用、半々になってよかったな」と笑いながら発言したという証言もネット上に投稿されており、その態度が事件への不誠実な認識の表れとして批判を集めています。ただしこの証言は一般傍聴者によるものであり、成田氏本人が公式に確認したものではありません。
5-3-2. 成田氏のSNS上の言動と炎上
事件が広く知られるようになるなか、成田氏が過去にSNS(mixi)に投稿したとされる内容がインフルエンサーによって特定・拡散されました。投稿には大学時代の不適切な発言とされるものが含まれており、批判が集中。成田氏はmixi上のアカウントを削除する対応を取ったとされています。
また、2022年10月31日の「堕天作戦」終了時に成田氏がX(旧Twitter)に投稿したとされる投稿も問題視されています。「フリーランスだから、色々できたことやできなかったことがあったと思いますが、『堕天作戦』に関われて良かった」「ワガママで連載継続を打診したのは、間違いじゃなかったと思ってます」という内容で、被害者の存在を意識していないかのような言葉として受け取られました。さらにこの投稿はXのポスト更新機能(有料機能)を使って複数回更新されており、付いていたコメントや引用リポストが消去されたとも伝えられています。
さらに、BSテレ東の番組「漫画クリスタル」に出演を予定していた成田氏の回について、放送延期が決まったことも報告されています。
5-4. 別名義での新連載起用と「常人仮面」問題
示談が成立せず、2022年10月に「堕天作戦」が正式終了となった約2カ月後、マンガワンは「常人仮面」という新連載を開始しました。この「常人仮面」の原作者「一路一」氏が、山本章一氏と同一人物であることが2026年2月27日の小学館公式声明で初めて明らかにされました。
被害者は「復帰しているなんて、まったく知りませんでした。しかもこんな風に隠蔽していたなんて……」と驚きを語っています。小学館は声明のなかで「本来であれば原作者として起用すべきではありませんでした」と認め、謝罪しています。
元テレビ朝日法務部長の弁護士は「示談を拒まれ女性の理解が得られないと分かっていたにも関わらず、あえて復帰を強行したことが今回の一番の問題」と指摘。さらに「ペンネームを変え隠れて復帰させたということならば、PTSDに苦しむ女性の人権を完全に無視している」と批判しています。
5-5. 「常人仮面」の作画担当・鶴吉繪理氏のコメント
「常人仮面」の作画を担当していた鶴吉繪理氏は、2026年2月27日に自身のSNSでコメントを発表しました。鶴吉氏は原作者の過去について「事前に何も知らされておらず、今回の報道やSNSを通じて初めて知った」と説明しています。
鶴吉氏は被害者への思いを示しながら「作品は絵空事だからこそ自由だが、現実世界で人を傷つける行為があってはならない」と述べ、読者への謝罪を行いました。担当作家でありながらも被害の事実を知らされていなかったという点は、小学館の情報管理体制に問題があったことを示しています。
6. マツキタツヤ氏の別名起用問題——「アクタージュ」原作者が別名で連載していた経緯
2026年3月2日、週刊文春の報道によって、山本氏の件とは別の性加害事件に関わった漫画原作者もマンガワンで別名義にて連載していたことが明らかになりました。これは小学館における起用審査の問題が「山本氏の個別ケース」ではなく、より広い組織的な課題である可能性を示しています。
6-1. マツキタツヤ氏とは何者か
マツキタツヤ氏は、かつて集英社「週刊少年ジャンプ」で人気を博した漫画「アクタージュ act-age」の原作を担当していた人物です。同作品は舞台や映像化の話題も多く、漫画界での知名度は相当なものでした。
しかし2020年8月、マツキ氏は路上で中学生の胸を触ったなどとして強制わいせつ罪で逮捕・起訴され、懲役1年6カ月・執行猶予3年の有罪判決を受けました。集英社はこの事態を受けて「アクタージュ」を即座に打ち切りとしました。
6-2. 「八ツ波樹」名義でマンガワンに復帰していた事実
2025年、マツキ氏は「八ツ波樹」というペンネームでマンガワンの連載漫画「星霜の心理士」の原作を担当しています。山本氏のケースと同様に、既存の名前ではなく別の名義で起用されており、過去の有罪判決が起用の際の審査で考慮された痕跡がなかったとされています。
週刊文春の取材に対し、小学館は3月2日夜にこの事実を自ら公表しています。なお「星霜の心理士」は成田氏の担当ではないとされており、山本氏の別名起用が特定の担当者による個別判断ではなく、組織として複数件発生していたことになります。
6-3. 小学館の起用審査体制への根本的な疑問
今回の問題で明らかになったのは、2件の性加害前歴を持つ人物がいずれも別名義でマンガワンに起用されていたという事実です。山本氏は2020年に逮捕・略式起訴されており、マツキ氏も同年に逮捕・有罪判決を受けています。いずれのケースも、小学館の内部では情報共有がなされていたか、あるいは意図的に無視されていたかのどちらかの可能性が考えられます。
日本漫画家協会は2026年2月28日に声明を発表し、「関係出版社におかれては、被害者の尊厳と安全に十分配慮のうえ、透明性のある調査を行い、その結果や再発防止に向けた取り組みを公表するとともに、今後の連載や契約に不安を抱える漫画家にも適切な配慮がなされることを望みます」と求めています。
6-4. 「アクタージュ」の事例が示す業界全体の問題
集英社は2020年にマツキタツヤ氏の事件が発覚した直後、「アクタージュ」を即座に打ち切る判断を下しました。この対応は業界内でも「迅速かつ適切」と評価された一方、小学館は同じタイミングで逮捕された山本氏の「堕天作戦」について「体調不良」という虚偽の説明を用いて休載としており、出版社間での対応の違いが浮き彫りとなっています。
さらに集英社が即座に対応した事例のあるマツキ氏を、小学館が2025年に別名義で起用したという事実は、他社での打ち切り事例を把握したうえで起用を行ったのかどうかという疑問を生じさせます。出版業界全体で性犯罪歴を持つ人物の起用に関する統一的な指針がないことが、このような事態を招いた一因といえます。
7. 元マンガワン編集長・石橋和章氏の見解と漫画界への問題提起
今回の事件に関連して、マンガワンの創設期に関わった人物として元編集長の石橋和章氏(Zoo名義で活動)もSNSでコメントを発表しました。石橋氏は2017年にマンガワン編集長を退任しており、「詳しい内部事情を把握できる立場ではない」としながらも、漫画文化に携わってきた立場から見解を述べています。
7-1. 石橋氏が退任後に発信したコメントの内容
石橋氏は「不誠実な対応は、創作以前の問題」「信頼が揺らいだときに、最初に考えるべきは作品でも組織でもなく、人の気持ちであるべき」と述べています。また「炎上の中では、ときに無関係な人や別の組織まで巻き込まれてしまうことがある。冷静な議論と、事実に基づいた判断がなされることを望みます」とも語っています。
石橋氏が立ち上げに関わった裏サンデーは「才能の入口を広げる」という理念のもとに生まれた媒体だったとされており、石橋氏はその理念と社会への誠実さが両立することへの期待を示しています。
7-2. 石橋氏と成田氏の関係性
複数の情報によれば、成田氏が小学館に加わったのは石橋氏の手引きによるものだったとされています。石橋氏は「退任後は運営や意思決定には一切関わっていない」としており、成田氏の行動については「事後の出来事で知る立場にない」という立場です。
石橋氏はSNS上で最初のコメントを投稿した際、「辞めた会社の10年以上前の出来事が追いかけてくる」と率直な感情を吐露しており、当事者に近い立場として複雑な心情を持っていることがうかがえます。ただしその後、より詳細な見解を追加で公表しています。
7-3. 漫画家・こうづきおさむ氏との過去のトラブル
石橋氏が代表を務めるCOMIC ROOMをめぐっては、漫画家のこうづきおさむ氏から過去のトラブルについてSNSで告発を受けたことがありました(2024年2月)。こうづき氏は「担当編集者が行うべき背景ディレクション業務を漫画家側に丸投げして大赤字を出させた」として問題を公にし、石橋氏が謝罪と補償を約束する形で収束しました。
この件については石橋氏自身が「本来ありえない事。担当編集の不適切なやりとりを確認した」と認めており、金銭的な対応も約束しています。漫画家と編集者・出版社の力関係の非対称性という問題は、マンガワン事件とも通底するテーマです。
7-4. 漫画業界における編集者と漫画家の非対称な権力関係
こうづき氏が告発の最後に残した言葉は、今回のマンガワン事件の本質とも深く関連しています。「今回現実に起こったように出版社/編集者と漫画家は対等ではありません。その歪さを出版社側が認識し再考のきっかけとして欲しい」という訴えです。
漫画業界では、編集者や出版社が連載の継続・打ち切り・起用・不起用などの重要な決定権を持つ構造があります。漫画家は作品の権利面でも情報面でも、出版社と対等な立場にあるとは言えないのが現実です。「堕天作戦」の件でも、示談交渉において被害者の要求を無視し、担当編集者が主導権を持って交渉を進めたという構図は、こうした非対称な権力関係が被害者にとって不利に機能した事例として見ることができます。
漫画家が連載を担う媒体の編集者や出版社と対等に情報を共有し、自らの権利を守れる環境の整備は、今後の業界改革の重要なテーマのひとつです。石橋氏が「才能の入口を広げること」と「倫理や責任を軽視することは決して同義ではない」と述べたことは、この点においても示唆的です。
8. 被害者の要望を真に叶える解決の糸口とは——子どもを守る社会システムの構築に向けて
被害者のメッセージが明確にしているのは、「炎上の継続」ではなく「制度的な変化」こそが被害者の本当の望みだということです。この事件を社会全体がどう受け止め、どのような変化につなげるべきかを考えます。
8-1. 被害者が求める「社会全体で子どもを守る仕組み」とは
被害者のメッセージには「社会全体で子どもを性被害から護る仕組みをつくっていただくこと」という言葉があります。これは非常に広い課題であり、個人や企業の対応だけでは対処できない問題です。具体的に必要とされる仕組みには、学校や教育機関における教員の性犯罪歴確認の義務化、被害申告が容易な環境整備、出版・芸能業界における前科者の起用に関する透明なルール作りなどが挙げられます。
日本では2021年から「日本版DBSの導入」に関する議論が進んでおり、子どもと接する職業に就く人物の性犯罪歴を事業者が照会できる制度の整備が進められています。今回の事件は、こうした制度の必要性を改めて浮き彫りにするものといえます。学校教員のみならず、漫画家や創作者が未成年と接触できる立場にある場合のリスク管理についても、今後の議論の俎上に乗せる必要があります。
被害者が裁判を起こしたのは2022年のことですが、その背景にある「次の子を見つけた」という加害者の言葉こそが最大の動機でした。加害者が別の被害者を選んでいたとすれば、今回の裁判がなければ発覚しなかった被害が今後も続いていた可能性があります。こうした連鎖を断ち切るには、個人の告発に依存するのではなく、社会的な仕組みで未然に防ぐ体制が不可欠です。
8-2. 漫画業界における再発防止の課題
今回の事件では、逮捕・有罪判決を受けた人物が別名義で同じプラットフォームに復帰するという事態が少なくとも2件確認されました。これは漫画業界全体に関わる課題です。
出版社が漫画家や原作者を起用する際に、過去の性犯罪歴を確認する義務的な仕組みがなければ、今回のような事態は再発する可能性があります。また起用する際に別名義を使用させることで前歴を隠す行為についても、業界としての明確なルール整備が求められます。
8-3. 小学館が示した再発防止の約束
小学館は2026年2月27日の公式声明において「再発防止に取り組んで参ります」と表明しています。また3月5日の被害者への直接謝罪においても再発防止についての約束がなされたとされています。しかし具体的にどのような再発防止策が講じられるかについては、現時点では詳細が公表されていません。
日本漫画家協会の声明が求めているように、調査結果や再発防止策の透明な公表が、漫画業界全体の信頼回復にとって不可欠なステップとなります。
8-4. 被害者とその家族が直面する長期的な支援の必要性
被害者は現在も解離性同一性障害の症状に悩んでいます。PTSDや解離性同一性障害は、治療に長い時間を要する精神疾患であり、被害者が「通常の生活」を取り戻すためには継続的な医療・心理的サポートが不可欠です。
また被害者の母親も極度のパニック障害を発症しており、家族全体への影響は深刻です。性被害の支援において「当事者だけでなく家族へのケア」も含めた総合的な支援体制の整備が求められます。損害賠償の支払いは法的な責任の一部に過ぎず、被害者が本当に必要としているのは長期的な支援の継続です。
8-5. 漫画業界全体が問われている透明性と責任
今回の問題は小学館やマンガワンに限った話ではなく、日本の漫画・出版業界全体が抱える構造的な課題を浮き彫りにしています。漫画家や原作者は作品の質と人気のみで評価される傾向が強く、私生活における犯罪行為や倫理的問題が審査に組み込まれることは少なかったとされています。
出版社と漫画家の関係は一般に対等ではなく、人気作家が生み出す商業的価値が優先されるなかで、起用判断における倫理的スクリーニングが後回しにされやすい構造があります。今回の事件で「アクタージュ」のマツキタツヤ氏のケースも加わったことで、この問題が特定の担当者の判断ミスではなく、システムとして性犯罪歴を見逃す体質があったのではないかという問いが生まれています。
日本漫画家協会が声明で求めた「透明性のある調査と結果の公表」は、業界全体が信頼を取り戻すための最低限の条件です。どのような基準で起用判断が行われているのか、今後はより明確なガイドラインの策定が望まれます。
8-6. 被害者支援の観点から見た刑事司法の課題
被害者は「本当は強制性交だとして刑事罰を受けさせたかったのですが、時効や証拠の問題があって……」と述べています。この言葉は、性的暴力における刑事司法の限界を示しています。
日本では2017年に刑法改正が行われ、強制性交等罪の法定刑が引き上げられましたが、時効期間や立証のハードルという問題は依然として残っています。特に教員と生徒のような権力関係を利用した性被害では、被害者が長期間にわたって告訴に踏み切れないケースが多く、時効が成立してしまうことがあります。
今回の事件でも、罰金30万円の略式命令という結果は、被害の深刻さに対して著しく軽いものだと多くの人が感じているでしょう。民事訴訟で1100万円の損害賠償が認められたことは一定の成果ですが、刑事責任の観点では被害者の望む結果とはかけ離れていたことも事実です。性暴力に関する刑事司法の在り方については、引き続き社会的な議論が必要です。
9. マンガワン事件まとめ——被害者の訴えとその後の経緯を総合的に理解する
「マンガワン事件」は2026年2月20日の札幌地裁判決をきっかけに広く知られるようになりましたが、事件の発端は2016年にまでさかのぼります。以下に主要事実を整理します。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2016年〜 | 山本章一(栗田和明)が北海道芸術高校で15歳の被害者へのグルーミング開始 |
| 2016〜卒業まで | 16歳から継続的な性的虐待・マンガワンで「堕天作戦」連載継続 |
| 2019年8月 | 被害者が警察に被害を申告 |
| 2019年10月 | 被害者が自殺未遂(一命をとりとめる) |
| 2020年2月 | 山本氏が逮捕・略式起訴(罰金30万円)・「堕天作戦」を「体調不良」として休載 |
| 2021年5月〜 | 成田氏・山本氏・被害者らによるLINE和解協議。被害者が示談条件を拒否 |
| 2022年7月 | 被害者が民事訴訟を提起 |
| 2022年10月 | 「堕天作戦」正式終了を公表 |
| 2022年12月〜 | 山本氏が「一路一」名義で「常人仮面」の原作者として活動再開 |
| 2023年 | 成田氏がフリーランスから小学館の正社員に採用 |
| 2025年〜 | マツキタツヤ氏が「八ツ波樹」名義でマンガワン「星霜の心理士」の原作を担当 |
| 2026年2月20日 | 札幌地裁判決:山本氏に1100万円支払い命令(学校側への請求は棄却) |
| 2026年2月27日 | 小学館が「常人仮面」配信・出荷停止を発表・謝罪声明公表 |
| 2026年2月28日 | 日本漫画家協会が声明発表 |
| 2026年3月2日 | 週刊文春が「別の性加害原作者(マツキタツヤ氏)の別名起用」を報道・同日夜に小学館が自主公表 |
| 2026年3月5日 | 小学館取締役が代理人弁護士事務所を訪問・電話で被害者へ謝罪 |
| 2026年3月5日 | 週刊文春「私は性加害漫画家と小学館を許せない」記事掲載(被害者は事前にタイトルを知らなかったと後日否定) |
| 2026年3月8日 | 代理人弁護士が被害者本人のメッセージを公式サイトに公開 |
9-1. 事件の本質——誰が何を見逃したのか
この事件で問われているのは複数の「見逃し」です。まず加害教員が継続的に生徒へ性的虐待を行っていたにもかかわらず、学校側がその行為を把握・防止できなかったという問題があります。次に、加害者の逮捕・略式起訴という事実を知りながら、「体調不良」という虚偽の説明を用いて休載を発表し、その後に別名義で再起用した小学館の対応があります。そして和解交渉において被害者の正当な要求(事実に基づいた説明の公表)を拒否し、口外禁止条項で問題を封じ込めようとした姿勢があります。
さらに深く見ると、この「見逃し」は組織の構造的な問題とも重なっています。LINEの示談記録では、小学館の法務部・編集部・社長室など複数の部署が情報を共有していたことが示されています。つまり特定の担当者1人の判断ミスではなく、組織として把握したうえで対応を選択した経緯が見えてきます。この点において「組織としての説明責任」は、今なお十分に果たされているとは言えない状況です。
9-2. 被害者が今後の社会に求めること
被害者が公開したメッセージは、炎上を求めるものでも、特定の個人や企業への制裁を求めるものでもありませんでした。被害者が一貫して訴えてきたことは次の3点に集約できます。
- 加害行為の社会的な認知と被害の実相の広報
- 子どもを性被害から守る社会的な仕組みの構築
- 加害教員による誠実な謝罪と責任の認定
「マンガワン事件」という名称でSNSに拡散した議論の多くは、被害者の意図とは別の方向に向かいました。しかし被害者自身が公式に発信したメッセージを通じて、この事件の本質が何であったかを改めて問いかけています。被害者が6年間にわたり民事訴訟を続けてきたエネルギーの源は、「自分の怨恨を晴らすこと」ではなく、「次の被害者を生み出さないこと」への強い意志でした。
9-3. 今後の注目点——小学館・漫画界・教育機関の動向
事件の節目ごとに、複数の主体がどのような対応を取るかが社会から注目されています。以下の点が今後の焦点となります。
- 小学館の再発防止策の具体的内容の公表:声明では「再発防止に取り組む」とされているが、具体的な起用審査基準の変更や内部調査の結果が公表されるか
- 控訴審の行方:加害教員側・学校側の双方による控訴が予定されており、控訴審の判断が教育機関の責任の範囲を定める先例となる可能性がある
- 漫画業界の自主規制の動向:日本漫画家協会の声明を受けて、業界としてどのようなガイドラインが策定されるか
- 日本版DBSの実効性:教員や漫画家など子どもと関わる職業への性犯罪歴確認制度がどこまで広がるか
- 両作品に関わった作家・スタッフへのケア:事件と無関係な立場で被害を受けた関係者への対応がなされるか
9-4. この事件が漫画ファンに問いかけるもの
「マンガワン事件」は、漫画という文化を愛するすべての人に対して、あるジレンマを突きつけます。作品の価値と作者の人格は切り離して考えられるべきか、という問いです。
被害者自身が「前科がある人であっても、絵を描いたりストーリーを考えたりすることはしても良いと思う」と述べているように、作品の存在そのものを否定しているわけではありません。しかし同時に「犯罪行為を認めて充分な対処をした上で、二度としないと約束してから次に進んでほしい」という条件も明示しています。
加害者がその前提条件を満たさないまま、読者・関係者に隠れる形でひっそりと活動を再開するというのが今回のやり方でした。この方法が問題なのは、加害行為を適切に処理することなく創作活動を続けているという一点に尽きます。誠実な謝罪と再発防止の誓約があってこそ、社会復帰の道が開かれるべきだというのが被害者の主張であり、多くの人が共感できる考え方です。
漫画ファンとして「好きな作品の原作者が性犯罪者だった」という事実に向き合うことは辛いことかもしれません。しかし作品を愛することと、加害行為を黙認しないこととは矛盾しません。漫画文化がより豊かで安全な場所であり続けるためには、読者を含めた社会全体が「倫理的な創作環境の整備」に関心を持つことが必要です。
9-5. まとめ——マンガワン事件・炎上・被害者・週刊文春・なぜ・本当の理由とは
マンガワン事件において被害者が「小学館の炎上を望んでいない」と語った理由は、被害者本人が「小学館の漫画のファン」であり、「マンガワンで活躍する無関係な漫画家たちを傷つけたくない」という思いを持ち続けているからです。週刊文春が掲載した「小学館を許せない」というタイトルは被害者の実際の発言(「やるせないです」)とは異なっており、被害者自身がそのタイトルを事前に知らなかったと否定しています。
被害者が本当に求めているのは、社会が子どもを性被害から守るための仕組みを整備すること、そして加害教員が誠実に罪を認めて謝罪することです。インターネット上の炎上が被害者の意思から離れて独り歩きしやすい現代において、当事者の発したメッセージを正確に受け取り、それを社会全体の変化につなげることが私たちに求められています。
裁判は控訴審に移行しており、学校法人恭敬学園への責任追及が引き続き行われます。また小学館による再発防止策の具体的な内容についても、今後の動向が注目されます。被害者が訴訟を通じて社会に投げかけたメッセージは、「特定の企業を潰すこと」でも「加害者を社会的に抹殺すること」でもなく、「子どもたちが安全に学べる社会をつくること」という、より普遍的な願いでした。この願いに対して社会がどう応えるかが、今まさに問われています。
- マンガワン事件の詳細経緯と被害者証言は複数のニュースメディアで継続報道中
- 日本漫画家協会の公式声明は同協会の公式サイトで確認できます
- 原告代理人弁護士(東京共同法律事務所)が公式サイトで被害者メッセージを公開:https://www.tokyokyodo-law.com/札幌地裁判決について/
- 被害者が求める子どもの性被害防止のための制度整備(日本版DBS等)については内閣府の公式サイトも参照
- 小学館の公式声明・マンガワン編集部のお詫び文はマンガワン公式サイトに掲載